薄荷さんのよもやまブログ

ツエーゲン金沢のサポーターで近年はジャ〇-ズにもハマってるくせに、メインは食い物記事ばかりと言われているヲタク人間のブログです

京都旅行・最終日

昨日は何故か午後から体調が悪くなり、ず~とベッドの中で唸っておりました。
ここ最近、油断して風邪を引いたみたいでした。
幸い、今日は持ち直したので、夕方から前の派遣先の慰労会に誘われいたので出かけて飲み食いしてきました(元々、車で出掛ける予定だったので酒類はNGだったけど、ウーロン茶も数は飲めなかった)
なんとか美味しく食べられて良かった。
(とにかく夕べから作る気力がなかったで食パンしか食べてなかった)

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さて、京都旅行の最終日。

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正しい日本の朝ご飯と言わんばかりの美味しい朝食を頂き、(写真には載ってませんが湯豆腐も付いてました)天橋立から舞鶴の方へと向かいました。

<余談>
旅館を出る時、すんごい土砂降りでしたが天橋立から山一つ越えたらいきなり晴天になった。
地形的に降り易い土地だったのかな?

舞鶴に向かったのは「舞鶴引揚記念館」に行くためです。
実は今回の旅で母親が一番行きたかったのはここでした。
私の母親は満州からの引揚者なんですが、何せ1歳くらいに引き揚げて来たのでその辺の記憶がまったくないんです。自分の母親(私の祖母)は40年前に亡くなってるし、唯一生き残ってる姉でも当時5歳だったので舞鶴に降りたというあいまいな記憶しかなく、自分のルーツが知りたいと思ってる母親はどうしてもここへ行きたかったようでした。

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海上自衛隊の訓練学校を過ぎた場所にひっそりとありました。
中はまあ、小さな博物館です(二葉百合子の「岸壁の母」が二回に一度はかかる)
それでも母は感慨深げに見入ってました。
この日、ちらほらと訪れる人は絶えなかったけど、いずれは時代の流れの中で忘れ去られていく記憶のような気がしました。
(忘れちゃいけない記憶なんだろうけど、見たくない記憶でもあるよね)

舞鶴を出た後は、父親の希望で「熊川宿」というところへ向かいました。
私はよく知らなかったけど、昔の鯖街道の関所のあった場所らしいです。
とは言っても、小さい昔の宿場町の面影を残してる在所と言った感じで、あんまり知られていないのか閑散としてました。
街はとってもきれいで静かで良いとこだったんですけどね。

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町はずれに関所跡の建物がありました。(中に人形付)

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これはどっかのお店の前にいた猫。
知らない人間がカメラ向けたので思いっきりガン飛ばされました(汗)
でも逃げなかっただけでも儲けもの(私は猫に逃げられるタイプなので)

熊川宿の後小浜へお昼ご飯を買いに行き(焼鯖寿司、鯖寿司、小鯛寿司を買って分けて食べました。鯖寿司は美味しいけど後口では小鯛寿司が一番食べ易いよね)、敦賀から高速に乗って一路金沢へと帰りました。

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途中トイレ休憩を兼ねて降りた南条のサービスエリアで買ったソフトクリーム。
(行きはパンを食べたりしてお腹に入らなかったので)

今回旅行費用はほとんど親持ちだったので、私がお金出したのは友人のお土産(夜に京都タワー1階で時間を見つけて)と2日目に追加で払った入浴税と自分の飲み物(ペットボトルのお茶)と数珠と下の自分用のストラップ位……

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ご当地キティ好きなんです。坊主キューピーは同じものを持ってるんですがあまりにもボロボロになって買い換えたかったんで)
本当は2日目の昼食に行きたいお店があって、そこは私が出す予定にしてたんですが予約が取れなかったのでした。(「彩席ちもと」に行ってみたかったんです。親は「菊乃井」か?と言ったけどあそこは無理!一人4千円はするんだぞ!)
数珠とか事前の服代入れなかったらマジで1万円いってない……(大汗)

今度何かいいもの買って実家帰ることにしよう。

親といっしょは楽しくてお金も出してもらえたけど、お土産をゆっくり見る時間が無いのがネックでした。
(東京旅行の時は友人のSさんやОさんは小一時間くらい付き合ってくれるから)
よく茶々さんやさおりんが家族旅行でお土産買う暇がなくって、と言ってた意味が分かりました。
(連れが待っててくれないと言うか、待たせるのに気を使うから。基本男の人は待つのキライだし)

そんなこんなで京都旅行の顛末記は終わりなのでした。